この頃から、六本木は「東京租界」から完全に若者の町へと変わっていった。そして、六本木をさらに変えたのが、東京オリンピックがあった昭和39年(1964)
の地下鉄日比谷線の開通である。それまでも都電、バスはあったが、六本木には鉄道がなく、東京の中心にありながら交通の不便なところだった。それが、日比谷線の開通によって変った。銀座が近くなった。渋谷も、乗り換えはあるが以前より近くなった。
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「かくして私は、通学のためでなく、せっせと六本木に通った。第一次のディスコブームで、横須賀に米軍の船が着くと、夕刻には米兵がディスコに溢れていた。懸命に新しい振りを覚え、女の子に声をかけた」
大沢在昌は、70年代のはなやいだ六本木を「この街は、毎日がクリスマス・イブみたいだ」と評しているが、それは、現在の六本木についても言えるのではないだろうか。80年代に六本木はさらに変貌する。アクシス、フォーラム六本木といったファッションビルが出来る。映画館、本屋、CDショップがミックスしたAV空間、WAVEが開館するなど、六本木は従来の享楽的要素を新たに、おしゃれ、知的な要素が加わった。とりわけ、いまやなくなってしまったがWAVEが果たした役割は大きかったと思う。